第18話 槍太とのやり取り
                            
 海賊たちの本拠地・念仏島に来て五日ほどが過ぎた。
 この日も朝から海若から大陸の言葉を教わるはずだった風香
だったが、朝食の後に腹心の隼人が来たのでお預けになった。
「ちょっと込み入った話になりそうだ。午(ひる)になったら
 始めるからな」
 真剣な顔でそう言われては引き下がるしかなく、そのままふ
らりと屋敷の外に出る。
 しばらく雨が続いていたのであるが、今日は梅雨の晴れ間な
のかよく晴れ上がって、現代では見られないような澄みきった
青空が広がっていた。
 なんかゆっくりするのも久しぶりね。ずっと部屋に籠もって
中国語の勉強をしてたから。
 大きく伸びをして、風香は解放感に浸っていた。
 吹き抜ける風も心地よく、思わず目を細める。
 でも、もう二、三日でなんとかなりそうね。昨日はエリアノ
ールさんたちとも少し話ができるようになったし。基本を覚え
たら後は経験でなんとかなりそう。
 牢の中の二人を助けたい一心で取り組んでいるせいか、風香
は意外なほど早く言葉を覚えつつあった。
 前に京華から多くの謡いなどを学んだ経験も役に立っている
のか、海若からも物覚えのよさを感心される程だった。
 しかし、この時代に来てから色々な事を学んだわね。生き方
とか、謡いと舞とか、異国の言葉とか。現代にいた時からは考
えられないわね。
 とりとめなく歩いている内に、島の西側に広がる草原まで来
ていた。
 座り心地のいい石があったのでちょこんと座ると、両手で頬
杖をつきながら玄界灘を眺める。
 でも、わたしもすっかりこの時代に馴染んだわね。現代にい
た時はただの高校生だったのに、今では白拍子。しかも、西方
から来た人たちと楽園探しの旅を始めようとしているし。
 それでもかまわなかった。
 この時代で生きていくには、過去を捨てるところから始めな
ければならないと理解していたからだった。
 暇だし、ちょっと舞の練習でもしようかしら?しばらくやっ
てないし、忘れたら大変。
 ぼんやりしていた風香だったが、不意に思いつくと扇を手に
立ち上がった。
 海から吹く風を正面から受け止めながら、観客のいない舞台
で優雅に舞い、謡い始める。
 数日ぶりなので上手くいくか心配だったが、最初の発声が少
し引っかかっただけで、すぐに謡えるようになる。
 小さな体全てを使う舞も、少し意識するだけで感覚を取り戻
すことができた。
 気持ちいいわね、やっぱり。気持ちが落ち着くし。わたしっ
て白拍子に向いてたのかも。
 しばらく舞っていた風香だったが、風が凪ぐのと同時に。
 扇を畳んで再び石の上に座った。
 額の汗を懐の布で拭うと、大きく安堵の息を吐き出す。
 それにしても、この調子で現代に戻れるのかしら?アダムは
自分の子孫が暴走するのを止めてほしいと言ってたけど、誰の
ことかわからないし。そもそもこの国にいるのかしら?
 最大の謎と悩みはその点だった。
 アダムが明言しなかったせいで、どこから手をつけていいの
かすら分からない状態だった。
 もしかすると、これまでに会った誰かかもしれないわね。だ
とすると、やっぱりエリアノールさんかジルベールさん?まさ
か。悪い事をするようには見えないのに。
 風香の直感は、二人の内のいずれかがアダムの子孫であると
告げていた。
 しかし、心のどこかは否定的なのも事実だった。
 わからないわね。とにかく、もう少し勉強してちゃんと漢語
を話せるようになったら確かめてみるしかないわね。
 半ば強引に結論づけるのと同時に。
 立ち上がった風香はそのまま草原に寝転んでいた。
 ふかふかの下草と真上から差し込んでくる日差し、そして海
から吹く潮混じりの風が心地よかった。
 なんか眠くなっちゃった。少し寝るのもいいわね。
 小さく欠伸を漏らすと、そのまま目を閉じる。
 そんな少女を守るかのように、風が吹き抜けていった。
                            
 浜辺で干し魚作りを手伝った槍太が、足の向くまま島の西側
まで来たのはそれからしばらくしてからのことだった。
 しばらく暇だし、少し寝るかな?でも、意外と暑いな。こん
な時に寝たら汗かいて大変かな……って、誰だ?堂々と寝てい
るのは?
 思案しながらお気に入りの場所まで歩いてきた少年海賊だっ
たが、<先客>がいたので内心驚いた。
 なんだ、風香かよ。海若の兄貴は隼人さんと会っているから
ここに来たのか。……でも、本当に無邪気なんだな。
 少し体を丸め、子猫のようにすやすや眠る風香の顔を見て、
槍太は鼓動が早くなるのを感じた。
 短い袴から見える細い足に気づくと、思わず目線を外す。
 年上なのに、とても可愛いんだな。人を疑うことを知らない
っていうか、無警戒っていうか。でも、舞って謡った時は別人
だったもんな。
 起こさないようにそっとその場に腰かけて、槍太は頬を掻き
ながら今までのことを思い返していた。
 なんか、一緒にいたくなるんだよな。安らぐし、話をしても
面白い奴だし。でも、もうすぐいなくなるのか。言葉を覚えた
ら島を出るって言ってたしな。
 心のどこかでは、ついていきたいという気持ちもあった。
 しかし、弟分とはいえ海若に信頼されている以上、それを裏
切ることもできなかった。
 別れたくないな。でも、残るわけも無いし、ついていけない
し。やっぱり別れるしかないのか。
 柄でも無い、大きな溜め息をついた時だった。
 小さく身じろぎして、風香が目を開けた。
 しばらく自分の居場所を確かめるようにぼんやりしていたも
のの、やがて槍太の存在に気づいて少し驚く。
「びっくりすることないだろう?さっきからいたんだぜ」
「そうだったの……。変な事はしてないんでしょう?」
「なんだよ変な事って。オレはこう見えても頭領の弟分なんだ
 ぜ。天に誓ってもそんな事はしてないぜ」
「だったらいいわ。ごめん、疑ったりして」
「いいっていいって。オレの方が邪魔したかな?」
「そんなことないわよ。自然に目が覚めたから」
 そう言いながら、風香は小さく伸びをした。
 それで体に残っていた眠気を追い出すと、改まったように口
を開く。
「ところでどうしたの?こんな誰もいないところに来て」
「え?い、いや別に。ちょっと暇になったから来ただけだぜ。
 まさかお前がいるなんて思わなかったけどな」
 二人きりなのを思い出して、顔を赤くしながら槍太は答えた
が、すぐに風香の本心を聞き出すいい機会なのに気づいた。
「なあ風香。お前、本当にもうすぐこの島を出るのか?」
「うん。元の時代に戻りたいし、エリアノールさんたちと別れ
 るわけにはいかないのよ。二人だけでは何もできないわ」
「でも、お前だって世馴れてるとは思えないぜ。無警戒過ぎる
 っていうか、人が良過ぎるっていうか……」
「そうだけど、行かないといけないの」
 多少むきになって、白拍子の少女は言い返した。
 それに合わせるように、少し強く風が吹き抜ける。
「わたしだって怖いんだから。確かに白拍子だから路銀は稼げ
 るけど、身を守る術なんて知らないし。でも、それしか方法
 は……無いのよ」
「そうだよな。お前、遠い先の時代から来たって言ってたな。
 戻りたいのも当たり前か」
「ごめんなさい。わがまま言ったりして」
「そんな事ないぜ。オレだって同じ立場に置かれたら戻りたい
 と思うはずだしさ」
 隣の少女が今にも泣きそうな表情を浮かべたので、槍太は慌
てて言い繕った。
 年上とは言っても、泣かれるのは辛かった。
「それより、兄貴から大陸の言葉を教わってるんだろう?調子
 はどうなんだ?」
「そっちは……なんとかなるかも。海若さん教え方がいいから
 少しは理解できるようなったの。昨日はエリアノールさんた
 ちと話もできるようになったんだから」
「凄いよな。オレなんてすぐに投げ出したくなるのにな」
「せっかく知り合ったのに話ができないなんて嫌でしょう?」
 そう前置きして、風香は直接二人の西方人と言葉を交わした
時の事を話した。
 槍太は口を挟んだりせずに聞き役に徹したが、嬉しそうな顔
をしている少女の顔を見ているだけで、安堵する自分にやがて
気づく。
 やっぱり側にいたいよな。でも、仕方ない。あと数日悔いが
無いようにしないとな。
 そんな事を考えているのだった。