第14話 巣立ち
                            
 京華の住む村から何刻か歩いたところに、日本史の教科書で
もおなじみの太宰府がある。
 かつては「西の朝廷」とも呼ばれて、小さいながらも役所が
幾つも建っていたのてあるが、京華に連れられた風香の目に入
ってきたのは、草地に残る石の土台だけだった。
「ここが……太宰府なんですか?」
 周囲に太宰府天満宮など、立派な寺院が建ち並んでいるのを
確かめて、白拍子姿の少女は驚きを隠せない声で言った。
「そうだよ。あたいも詳しい事は知らないけど、遠い昔に焼け
 落ちてから建て直されてないってさ。ま、あたいには関係無
 いことだけどね」
「でも、港から少し遠いのに人は集まって来てますね」
「去年大陸から攻めてきて、そのままここに居残っている人間
 も多いんだ。あたいも去年までは港の近くに住んでたんだ」
 ぶっきらぼうな口調で京華は答えると、ふわりと水干の袖を
翻して歩き始めた。
 後を追いかけながら、風香は学校で教わった事を思い出す。
 やっぱり、今は西暦一二七五年で間違いないわね。元寇が一
回しか攻めてきてないし。でも、わかっても意味がないわね。
とにかくこの時代で生きていくしかないんだから。
 京華から特訓してもらったお蔭で、風香はわずか二週間でそ
れなりの実力を持つ白拍子に生まれ変わっていた。
 乾いた砂に染み込む水のように舞や謡を覚えるので、教授す
る京華の方が驚いてしまうほどだった。
 でも、これで生きていけるわ。少しでもお金を稼ぐ方法とか
を覚えて、早く海若さんたちに再会したいわね。まだ、礼も言
ってないんだから。
 その事を思うと、風香の胸は痛んだ。
 勝手な行動をした挙げ句、分かれてかなりになる。
 時間が経つにつれて海若たちに会うのが怖くなっていた。
「さてと、ここら辺でいいわね。あんたはあたいが教えた通り
 にやればいい。その姿なら遊女に間違えられることもないだ
 ろうしね」
「わたしって……そんなに魅力無いんですか?」
「ものぐさなあたいが心の底から面倒を見たくなるほど可愛い
 けど、客はつかないね。あんたは汚れを知らないから」
「はあ。……そういうことにしておきます」
 京華の言葉に、未来からきた少女は曖昧にうなづくと、愛用
の扇を開いて舞える体勢をとった。
 体は小さいながらも完璧な構えを確かめて、先生役の女性は
満足そうな表情を見せると、少し離れた場所に陣取った。
 そろそろいいわね。教えられた通りにやれば大丈夫。
 夏を思わせる日差しと抜けるような青空に、一瞬目を細めた
風香だったが、通りすがりの人間が足を止めているのに気づい
てゆっくりと舞い始めた。
 同時に、よく通る声で一番お気に入りの今様を謡い上げる。
                            
 風に靡(なび)くもの、松の梢の高き枝、竹の梢とか、海に
帆かけて走る船、空には浮き雲、野辺には花薄(はなすすき)
                            
 好奇の目線が、軽い興奮と驚きに変わったのを風香は肌で感
じ取ることができた。
 珍妙な姿をした小さな少女が、見かけ以上に本格的な舞と謡
いを披露したことで、態度を改めたようだった。
 いけるわ。これなら。京華さんに感謝しないと。
 内心ちらっと思ったものの、すぐに次の謡いを紡ぎ出す。
                            
 海におかしき歌枕、磯部の松原琴(きん)を弾き、調めつつ
沖の波は磯に来て鼓打てば、雎鳩(みさご)浜千鳥(はまちど
り)、舞い傾(こだ)れて遊ぶなり
                            
 夢中になって謡い、舞いながらも風香は不思議な気がしてな
らなかった。
 現代にいた時も友達とよくカラオケに行って歌ったりしたも
のだったが、その時と同じぐらい自然に謡えるからだった。
 いつしか二十人程の見物人が集まってきていた。
 皆不思議そうな表情をしながらも、心から楽しんでいるのに
気づいて風香は非常に嬉しくなった。
 わたしはこの時代でも生きていける。もう、簡単に心細くな
ったりしない。舞いと今様があるから。
 そう思いながら舞いを変えるのと同時に、ふわりと風が吹い
て短い髪を揺らした。
 練習中に何度も感じた<風>だったが、それを呼び込んだの
が自分であることに、風香はまだ気づいていない。
 それでも。                  
 白拍子となった未来の少女は自在に、奔放に舞い続けた。
 今まで見えなかった何かが、少しずつ見えてきたような気さ
えしているのだった。
                            
 太宰府天満宮などが建ち並び、市が立つ賑やかな町並みを歩
きながら、槍太は大きな溜め息をついた。
 兄貴分の海若から命令された<遠い未来から来た娘>探しが
完全に行き詰まっていたからである。
 自分と同じぐらい小柄で、童子のように髪が短いという見分
け易い風貌にも関わらず、手がかり一つ見つからなかった。
 だからといって帰るわけにはいかないんだよなあ。兄貴から
は<生死関係なく行方だけは掴んでこい>って言われてるし。
大事なことなんだろうけど、状況もよくないしさ。
 本当のことを言えば、今すぐにでも島に戻って兄貴分に反発
する連中の様子を探りたかった。
 しかし、命令は絶対なので逆らうことはできなかった。
 言われたところは全部調べたけど、それらしい娘はいなかっ
たもんな。やっぱり、範囲を広げないと駄目なのかな。でも、
そうすると見落としそうだしな。
 頭に手をやって、漁師の息子のような少年は立ち止まった。
 その横を、市へ荷物を運ぶ農民などが通り抜けていく。
 とにかく、ここで少し聞き込みをしてみるか。この近くにい
ることは間違いないし、新しいことがわかるかもしれない。
 自分に言い聞かせるように決意すると、再び歩き始める。
 夏が近いのか、じっとしていると汗が滲んでくる程だった。
 それと同じ頃。
 何回か舞や謡を披露して汗をかいた風香は木陰に座り込んで
一休みしていた。
 思ったより稼げたわね。これぐらいあれば数日分の食べ物は
買えるかも。
 見物人たちが出してくれたお金を数え終えて、風香は満足そ
うな表情を浮かべて顔を上げた。
 わずかに風が吹いてさわさわと木の枝などを揺らし、自然の
風が大好きな少女は心地よさに目を細める。
 現代にいた時は考えられなかったわね。こうやって時を過ご
すなんて。いつも何かに縛られてばかりいたから。でも、生き
ていくことは今よりも簡単だったわ。
 布袋にしまったお金を揺らしながら、風香はこの時代に生き
ることの難しさを改めて噛みしめていた。
 京華から舞いなどを伝授してもらったのでゆったりと構えら
れるものの、何も無ければ野垂れ死にするか、他人のものを盗
んで捕まってしまうか、いずれにしてもろくな事にはならなか
ったはずだった。
 だから京華さん、ああやって客引きをするわけね。わたしが
見ても魅力的な女性だし、それしか生きる方法が無いから。
 そう思いながら、離れた場所に立つ白拍子の方に目を移す。
 ちょうど身なりの良い一人の男が近づいてきて、何かを話し
ているところだった。
 現代にいた時の風香なら、その先の事を想像して目を伏せて
しまうところだったが、漆黒の丸い瞳に映るのは、京華が商売
用の笑みを浮かべて、男と立ち去っていく光景だった。
 しばらくかかりそうね。今日は夕方までいるって言ってたし
わたしもがんばらないといけないわね。
 軽い動作で、風香は立ち上がった。
 水干や袴の土埃を落として、木陰から出た時だった。
 視線を感じて、反射的にその方向に目をやった。
 そこには自分と同じぐらいの背丈のよく日焼けした少年が、
何かを確かめるようにじっと見据えていた。
「舞を見たいの?」
 その様子がおかしかったので、風香は笑って声をかけた。
 経験豊富な京華ですら魅了した無邪気な笑顔に、純粋そうな
少年はそれこそ耳まで真っ赤になってうなづく。
「わかったわ。ちょっと待っててね。何か聞きたい今様は?」
 今度は大げさに首を振って見せたので、小柄な白拍子は大笑
いしたいのを堪えながら、扇を構えて舞い始めた。     
 ちょうど昼時なのか、人通りが途絶えたので見物人は少年一
人だけだったが、風香は心を込めて舞い、そして謡った。
 吹き抜ける風は相変わらず気持ちよかったし、少年が脳裏に
焼き付けるように見つめていたせいもあった。
 舞いが終わっても、風香の前にいたのは少年だけだった。
 それでも丁寧に一礼すると、感想を尋ねる。
「どうだった?わたしの舞いと今様は」
「……天にも昇るような感じだったぜ。こんなに暑いのに、風
 が吹いていたしさ。しかし、どうしてそんな格好なんだ?」
 そう言われて、風香は目線を落とした。
 飾り紐の付いた白い水干、紅色の膝までの袴、白い足袋に草
履といういつもの姿だったが、すぐに真意に気づく。
「こうやって足を出している方が動き易いの。大胆かしら?」
「あ、ああ。だって、その……とてもきれいだしさ……」
「ありがとう。あ、お金はいいわよ。気分転換に舞っただけだ
 から。その姿からすると漁師なの?」
 ふんわりとした声で質問されて、少年は我に返ったように真
剣な表情になった。
 やや固い声で、正面から問いかける。
「お前、海若の兄貴のことは知ってるか?」
「海若?もしかして、知り合いなの!?
「ああ。オレは槍太。海若の兄貴の弟分なんだ。半月ぐらい前
 に脱獄した時に一緒に逃げた娘を探してるんだけど……お前
 じゃないのか?」
 今度は風香が驚きと興奮で顔を真っ赤にする番だった。
 勝手な行動をして離ればなれになってしまった後ろめたさや
後悔が一度に込み上げてきて、次の言葉が出てこない。
「とにかく兄貴が探して会いたいって言ってるんだ。何か、遠
 い異国の人間も連れてきたしさ」
「もしかして、エリアノールさんたちも一緒なの!?それに、海
 若さん本当にわたしに会いたいって言ってたの!?
「お、おい。ちょっと落ち着けよ。じゃ、間違いなくお前が風
 香って奴なんだな。随分探したんだぜ」
「だったら連れて行って。海若さんたちには謝らないといけな
 いのよ。わたしが勝手なことをしたばかりに……」
「それは知ってる。でも、兄貴はそんな事で怒ってなんかいな
 いぜ。熱心にお前の事を探してたんだぜ」
 そう言って、額に傷のある少年……槍太は笑った。
 やんちゃという言葉がふさわしい明るい笑顔に、風香はすっ
と心が落ち着くのを感じる。
「やれやれ。これでやっと島に帰れるぜ。大変なことになって
 るっていうのに人探ししてたんだからさ」
「大変なこと?海若さんの身に何かあったの?」
「それは後で話すよ。とにかく、島に戻らないとな。今から港
 に行けば、なんとか明日には戻れるな」
「ち、ちょっと待って」
 今にも槍太が引っ張っていきそうなのに気づいて、風香はそ
の腕を掴んで押し止めていた。
 年頃の可愛らしい娘に捕まって、<免疫>のない少年海賊は
またも顔を赤らめたが、かまうことなく訴える。
「とても世話になった人に別れの挨拶ぐらい言わせて。今ここ
 にいないのよ」
「どれぐらいかかりそうなんだ?」
「さあ……。今、相手の人と行ったばかりだから」
「なんだ、遊び女に世話されてたのか。どうりで見つからない
 はずだよな。わかった、それまで待つぜ」
「ありがとう。どうしても、お礼を言いたいの」
 槍太に不満の色は無かった。              
 「ここは暑いから木陰で待たせてもらうぜ」とだけ言って、
さっきまで風香がいた場所に腰かけたからである。
「ねえ、あまり言いたくないけど……。遊び女に世話されてこ
 んな格好してても、<別の事>を考えたりしない?」
「いや。お前ぐらいの歳で客引きしてる奴なんて見たことない
 からな」
 あっさりと言い切られて、風香は改めて自分の発育の悪さに
溜め息をついたが、すぐに気を取り直した。
 この時代で生きていく自信がついたところで海若たちに再会
できるならば、かなり幸運かもしれない。
 無邪気にそう思ったからだった。
                            
 <一仕事>終えて京華が戻ってきたのは、昼下がりになって
からのことだった。
 ちょうど舞いと今様を目当てに集まっていた客たちが立ち去
った後だったので、笑いながら稼ぎを示して見せる。
「やっぱりあんたは普通じゃないね。あたいも商売上がったり
 だよ。そんなに稼がれると」
「みんな京華さんのお蔭です。あなたが舞いとかを教えてくれ
 たから……」
「教えたのはあたいだけど、驚くほど早く覚えたのはあんただ
 よ。それより、何か言いたい事があるのかい?そこに見慣れ
 ない顔もあるしね」
「はい。実は、海若さんがわたしのことを待ってるらしいんで
 す。そこにいる槍太が迎えに来てくれたんです」
 一瞬だけ、京華は値踏みするような目で少年海賊の方を見る
と、風香が初めて見る表情を浮かべた。
「京華さん?」
「だったらお行き。あたいに構うことはないんだよ。あんたは
 旅の途中なんだからね」
「わかっています。また……遊びに行きますから」
「残念だけど、<また>はないね。たぶん」
 突き放すような言い方に、風香は切り揃えた髪を大きく揺ら
して白拍子の女性を見据えた。
 必死になって言葉を絞り出し、食い下がる。
「なぜですか?確かに少し遠いかもしれませんけど、遊びに行
 くのは決して難しく……」
「最後だから一つ教えて上げる。あんたの本質は<風>だね。
 一カ所に留まらず、たえず漂う風なんだ。あたいはちょっと
 手助けしただけで、それ以上は関われないんだ」
「わたしが、風?」
「気づいてなかったのかい?あんたが舞うと必ず風が吹いてた
 んだ。その度に思ったよ。あんたはいつかあたしの元を離れ
 てどこかへ行くんだって」
 風香は返す言葉も無かった。
 死にかけていたところを助けてもらい、生きていく為に舞や
今様まで教えてもらった女性と、簡単にわかれていいとは思っ
ていなかったからである。
 それに、もし遠くに旅してしまえば交通手段も不便な時代な
ので<今生の別れ>となるのは目にみえていた。
「まったく、あんたは手がかかるわね。それじゃやっていけな
 いわよ」
 少女がためらいを隠さないことに苛立ったのだろう。
 京華は大げさに溜め息をつくと、風香を手招きした。
 意味がわからないまま、歩み寄った少女だったが……。
 いきなり、大きく両手を広げた京華に抱きしめられて驚きの
あまり変な声を上げそうになってしまった。
「別れの儀式だから気にすることなんかないんだよ。あたいが
 好きでやってるだけだから」
「京華さん……」
 豊満な体に押しつけられた風香だったが、まるで雛を庇う親
鳥のような優しさを感じて、じわりと涙がこぼれてきた。
 それでも、雛はいつか巣立たないといけないのだった。
「本当に、あったかいんですね。京華さんって」
「馬鹿だねえ。女っていうのはこれが最大の武器なんだから覚
 えておきな。どんなに偉そうにしている男でも、これには逆
 らえないものさ」
「はい。本当に、ありがとうございました。短い間でしたけれ
 ど、何から何まで世話になって……」
「あんたが可愛くてたまらないから世話しただけさ。でも、本
 当に子供ができたみたいで……楽しかったよ」
 後はお互い言葉にならなかった。
 もう二度と会うことはないことに悲しみながらも、しっかり
と抱き合ったからである。
 今この時を永遠に忘れないようにする為に。
 しばらく凪いでいた風が吹いて、近くの木々の小枝を揺らし
た時のことだった。
 ゆっくりと、風香が離れた。
 心の底から泣いたので目は真っ赤になっていたが、悔いは無
いのでいつもの無邪気な笑顔を浮かべていた。
「さようなら。京華さん。いつまでも、元気でいてください」
「あんたこそ、しっかりと旅を続けるんだよ。いつかきっと、
 目的を果たすってあたいは信じているからね」
 髪を揺らして、風香は大きくうなづいた。
 うなづくと、体の向きを変えてずっと待っていた槍太に声を
かける。
「もう、いいのか?」
「うん。大事な物は持ってきてるし。案内、お願いね」
「わかった。今からだと急いでも明日の夜ぐらいになるな。少
 し急ぐから覚悟しとけとよ」
 そう言って、槍太が足早に歩き始めたので、風香も水干の袖
を翻してそれに続いた。
 しばらくしてから思い出したように振り向くと、京華は客引
きをしながらも、風香たちの方を見ているようだった。