第13話 牢に入ってもらうしかない
                            
 その<事件>が起こったのは、槍太が海若の命令で島を後に
してから五日程経ってからのことだった。
 早朝共に漁に出る約束をした相方がいつまでたっても来ない
ので、迎えに行った若者がその家に行ってみると、その本人が
血の海の中で苦しんでいるのを見つけたのである。
 すぐに医術の心得がある老人が呼ばれたのと、思った以上に
出血が少なかったこともあって、青年はすぐに意識を取り戻し
たが、その言葉は島全体を騒然とさせた。
 金色の髪を持つ<鬼>と銀色の髪を持つ<鬼>に襲われ、生
き血を吸われかけたと証言したからである。
 島でそのような髪を持つといえば……。
「とにかく、おれははっきりと見たんだ。あの客人は言葉が通
 じるふりをしている鬼だ。この前鶏とかが襲われたのも生き
 血を狙ったからだ。奴らは完全に渇いていた!」
 その青年はどちらかといえば反海若派……甲龍に近い人間で
ある事に気付いた者も多かったが、潜在化していた<異人>へ
の恐怖に火を点けるのには十分すぎる程だった。
 噂を聞きつけた島内の人間全てが、海若の家に押しかける騒
ぎになったからである。
 中には海賊行為に使用する武器を手にいきり立つ者もいて、
新たな血を流すことなく事を収めるのは難しい情勢だった。
「とにかく状況が良くない。一部の人間は<鬼>ではなく、お
 前の首を差し出せと煽っている。言うまでもなく、甲龍の部
 下たちだ」
 家を取り囲む騒ぎがはっきりと聞こえて来る海若の部屋。
 そこには海若自身と騒ぎの直後に駆けつけてきた隼人だけが
詰めていた。
「正直なところ、説得程度で切り抜けられる状態ではない。何
 か妥協しない限り騒ぎは大きくなるばかりだ」
「妥協?何をしろというのだ?」
 あくまでも落ち着きを失わない副首領とは対照的に、海若の
表情と声にはあらゆる負の感情が満ちていた。
 ここぞとばかりに逆襲に転じた甲龍には憎悪にも似た怒りが
あったが、一部はそれを防げなかった自分にも向けられている
ようだった。
「やはり、客人には退去してもらうしかない。お前にとって命
 の恩人ということは、甲龍たちにとって憎き邪魔者というこ
 と。放っておけば殺されてもおかしくない」
「しかし、風香はまだ見つかっていない。槍太の捜索が終わる
 までまだ時間がかかる」
「駄目だ。もう匿っていられない。このままでは先代の築いた
 礎すら無になる」
 押さえていたが、隼人の言葉には怒りが込められていた。
 いつになく優柔不断な<友>に我慢ならないのだろう。
 しかし、海若は首を縦に振らない。
「もう少し。もう少しだけやり過ごせればいい。槍太が戻って
 きた結果が分かれば、客人は退去させる。それで納得しても
 らっているからな」
「こんな時にそんな悠長な事は言ってられない。とにかく、お
 前が頭領なんだ。すぐに決めろ」
 重い沈黙が訪れた。
 島を守るための決断を待つ隼人。
 自分の義理を貫きたい海若。
 引くに引けないお互いの思いが正面からぶつかり合い、この
ままでは掴み合いの喧嘩にまで発展しかねない雰囲気だった。
 しかし、そうなれば島は救いようのない混乱に飲み込まれ、
どのような結果を生むか二人にも予想はつかなかった。
「……これなら、どうだ?」
 ぽつりとつぶやくように、海若が言ったのは外の騒ぎが一段
と大きく聞こえるようになってからのことだった。
「二人の客人を罪人用の牢に移し、槍太の帰りを待つ。俺が妥
 協できるのはここまでだ」
「牢に入れる?確かに思い切った手だが、外の連中が納得する
 のか?」
「牢に入れて、奴らにも監視させればいい。島の連中も少しは
 安心するはずだ」
「……それしか、方法はないな。お前が一番痛いが、思い通り
 にいかなかった甲龍も痛いわけだな。よし、その方向でおれ
 は外の連中を説得する。お前は客人を説得しろ」
 最悪の事態を回避できて、隼人はほっとしたようだった。
 早口で一気に言うと、そのまま席を立ったからである。
 残された海若もすぐに立ち上がったが、ふと動きが止まる。
 色々な罪悪感が胸を焦がし、なんともやりきれなかった。
 駄目だ。言うわけにはいかない。そもそもは風香に痛いとこ
ろを突かれた俺が悪いからな。
 なぜあの時風香の質問に邪険になったか。
 その理由は十分にわかっていたが、誰にも話すわけにはいか
なかった。
 ここで崩れかけているとはいえ、島内の全ての人間の信頼を
失うわけにはいかなかったからだった。
                            
 外の騒ぎは、軟禁されている二人の客人にも伝わっていた。
「どうしたのかしら?かなり、興奮しているみたいね」
 わずかに障子を開けて外の様子を確かめたエリアノールがつ
ぶやいた。
「言葉がわからないのが不自由ね。大陸の言葉なら……」
「残念ながら、事態は悪くなっているようです」
 何かを考えていたジルベールが、目を開くなり言った。
「集まってきた島の人間はおそらく、私たちを追放するように
 求めているのでしょう。この島に来て半月。正直なところ、
 少し遅いぐらいです」
「どういうこと?なんであたしたちが追放されないといけない
 の?あたしたちはただ……」
「私たちは彼らから見れば完全な<異人>です。それに、私た
 ちを匿う海若の実権も万全ではありません。彼らは海若に反
 する人間に焚きつけられているのでしょう」
「だったらどうすればいいの?ここから抜け出すの?」
「それは不可能でしょう」
 いきり立つ貴族令嬢とは対照的に、ジルベールはあくまでも
淡々としていた。
「ここから出ただけで取り囲まれ、最悪の場合命を落とすこと
 になりかねません。ここは成り行きに身を任せるべきです」
「そんなの消極的すぎるわ。他に手は無いの?」
「下手に動かないことが最善の手と私は判断します」
 熱くなっていた心が冷めていくのに合わせるかのように、立
ち上がっていたエリアノールはその場に膝をついた。
 虚しさにも似た感情が代わりに込み上げてきたが、それを口
にする気にもなれなかった。
 この国に来てからおかしなことばかり起こるわね。あたしの
信心が足りないのかしら?
 故郷を離れてからずっと教会に行っていない事を思い出し、
心の底から神に許しを請いたい気分になった時だった。
 大きな足音が聞こえたかと思うと、海若がいきなり部屋の中
に入ってきた。
 驚くエリアノールにかまわずその場に座ると、深い悔恨を隠
せない声で告げる。
「済まない。最悪の事態になった。あんたたちにあらぬ疑いが
 かけられて、島の連中が騒いでいる。もう、俺ではとても押
 さえきれない。何も言わず、俺の指示に従ってくれ」
「それはできないわ。事情を説明してくれないかしら?」
「わかった。俺に敵対する奴が、あんたたちをこの島から追い
 出す為にとんでもない噂をばらまいた。あんたたちが、人の
 生き血を吸う<鬼>だと」
「そんなわけないじゃない!どうしてそうなるの!?姿形が違うから!?それを言ったら……」
「もう知ってると思うが、この国は元々余所者には厳しい。あ
 んたたちみたいな風貌をしていたら尚更だ。これは理屈じゃ
 ないんだ。分かってほしい」
 なおも息巻こうと中腰になりかけていたエリアノールだった
が、従者の青年が無言のままでいるので止めた。
 <成り行きに身を任せるべき>
 そう言っていたのを改めて思い出す。
「で、どうする気なの?あたしたちを差し出すの?」
「そんな馬鹿な事はしない。そもそも風香を探しに行った槍太
 が戻ってきてないんだ。約束通り、島にはいてもらう。ただ
 し……牢屋に入ってもらえないか?」
 苦渋に満ちた声で海若が告げるのと同時に。
 貴族令嬢の白皙の横顔に、みるみる赤みが増していった。
 ジルベールが口を開くよりも早く、自分でも驚くほどの大声
で一気にまくしたてる。
「どうしてあたしたちが牢に入らないと行けないの!?入るべきなのは今回の騒ぎの首謀者じゃないの!?そんな事を言っている暇があったらとっとと捕まえてきなさいよ!」
「だから、それは……」
「ジルベール!こんな馬鹿は相手してられないわ!あたしたち
 で島を脱出しましょう!もうこんなところにいたくないわ」
 そう言って立ち上がったエリアノールだったが、従者の青年
は動かなかった。
 ただ、いきり立つ主人を冷たい目で見据えるだけだった。
「なんで動かないの!?これだけの屈辱を受けてもまだ、成り行きだけで動けというの!?
「その通りです。海若も悪意があって牢に入れるわけではあり
 ません。安全を買うなら海若に従うべきです」
「牢屋の中の方が……安全ということ?」
「はい。槍太という少年が戻るまで数日はかかります。その間
 に島の人間がどう動くか、私にも予想はできません」
 ぺたりとエリアノールがその場に座り込んだ。
 異国の言葉によるやり取りの末に、令嬢の激情が去ったのに
気づいて海若は呆然としていたが、やがて気を取り直して確認
する。
「とにかく、さっき話した方法でしか安全は保証できない状態
 だ。俺の信頼できる部下に世話させるからここは大人しく従
 ってくれないか?」
 何かを躊躇うかのような沈黙の後。
 座り込んだままのエリアノールは小さくうなづいた。
 誇り高き貴族令嬢にとって、侮蔑としか思えない決断だった
が、<生きる>にはこれしか方法は無いこともわかっていた。
「済まない!島の人間がここから動いたら案内する。とにかく
 槍太が戻るまでの辛抱だからな」
 どうにも後ろめたさが隠せず、海若は必死になって言い訳し
ていたが、二人の異人は何も言わず、ただ自分たちを翻弄する
<何か>にその身を委ねているのだった。