第2話 若き海賊の頭領
                            
 ごそごそと物音が続いているような気がして、馬海若(ま・
かいじゃく)はかすかに目を開けた。
 一瞬だけ、自分のいる場所がわからなかったが、すぐに地頭
の屋敷内にある牢屋に入れられたのを思い出す。
 海若は、大陸出身ながらもこの地方では有名な海賊の頭領だ
った。
 元は漁師だったのだが、ある時<ふとしたことから>倭国に
漂着してしまい、そこで前の頭領に拾われたのである。   
 最初は言葉も通じなかったが、義に厚い頭領の元ですぐに頭
角を現し、一年後には副頭領となっていた。
 まだ二十歳になったばかりだったが、人望厚く面倒見の性格
だったからだろう。
 命の恩人とも言うべき頭領が急病で世を去った後、自然と海
賊たちの頭となっていた。
 それからも、幕府や西国商人の船を襲っては金銀財宝を手に
入れていたのであるが、ある時から急に風向きが変わった。
 九州の行政の中心・太宰府から新しい武士がこの一帯の海賊
退治の為に乗り込んできたのである。
 それから全てがおかしくなったんだな。他の海賊連中が片っ
端から捕まって、俺たちまで危なくなってきからな。    
 海若が牢に入れられたのも、それが原因だった。
 逆襲の意味も込めて武藤の指揮する幕府側水軍を狙ったとこ
ろ、逆に罠にかけられてしまったからである。
 幸い、部下たちはなんとか逃げ延びるのに成功したようだっ
たが、殿(しんがり)を務めた本人だけが逃げ損なってしまっ
たのだった。
 ってことは、ここは武藤の奴の屋敷か。だとすれば、逃げる
のはまず不可能だな。しかしだ……。
 ゆっくりと体を起こした海若だったが、壁に寄りかるのと同
時に、金色の髪を持つ女性と目が合った。
 人のいい笑みを浮かべ、久しぶりに使う故郷の言葉で話しか
ける。
「よう、鏡を使って何をやってるんだ?もしここから脱出する
 んだったら俺も加えてくれないか?」
 女性……エリアノールが飛び上がらんばかりに驚いたのは、
満月の光でもわかった。
 警戒心もあらわに、海若を見つめ返す。
 蒼色の瞳に射すくめられて、さすがの海賊の頭領も背中に冷
たいものが流れたような気がしたが、あえて陽気さを失わずに
言葉を続ける。
「俺でよければ役に立つぜ。こう見えても海賊の頭なんで、あ
 そこの固そうな人よりは色々できるつもりだぜ」 
 返ってきたのは、深い沈黙だけだった。
 もう一人の黒髪の青年は何事も無かったかのように二つの手
鏡を使った作業を続け、エリアノールは眉一つ動かさずに何か
を考えていたからである。
 やっぱり、駄目か。無理ないな。
 そんな二人の様子を見て、海若がそう判断した時だった。
「お前は……ここの者では、ないのか?」
 片言の漢語が耳に届いて、驚いて顔を上げた。
 その先には戸惑いと警戒心を交錯させた金色の髪の女性の表
情があった。
「もしかして、俺の言ってることがわかるのか!?
「少しだけ、ならね。人に話を聞く時必要だったのよ」
 海若の顔に満面の笑みが浮かんだのは、その時だった。
 後ろ手に縛られたまま、かなりの大声で一気に言葉を続けた
からである。
「助かったぜ!俺一人だけでこんな牢屋脱出するのは無理だか
 らな。俺は馬海若。あんた、名前は?西方の人間だろう?俺
 と組む気は無いか?こう見えてもそれなりに役に立つつもり
 だぜ。まずは悪いけど、そこの人に頼んでこの縄をほどいて
 もらえないかな?そうでないと……」
 エリアノールが顔を真っ赤にしたのは、その時だった。
 驚いて言葉を失った海若に対して、北フランス語で激しくま
くしたてる。
「無礼者!あたしはヴォーエルグ子爵家の娘・エリアノールな
 のよ。礼儀もわきまえない海賊に話しかけられる覚えはない
 わ!あなたの助けは不要。あたしたちに関わらないで」  
「お、おいちょっと待てよ。西方の言葉でわめかれても何がな
 んだかさっぱりわからないぜ。なんでそんなに怒るんだ?俺
 は頼みごとをしただけだぜ」
「エリアノール様は高貴な生まれの方。お前とは身分がまった
 く違うのだ」
 思わず喧嘩腰になって反論した海若だったが、再び故郷の言
葉が耳に入ってその方向を見た。          
 今まで沈黙を守っていた青年。ュジルベールだった。
「それに、エリアノール様は私が脱出させる。それに合わせて
 抜け出すのは勝手だが、お前の助けはいらない」
「なんだって!?脱出して、それからどうする気だよ!?ここは大
 元国じゃないんだぜ。言葉なんて通じないし、すぐにまた捕
 まってしまうぜ」
「私には手段がある。必ず逃げ出せる」
「おいおい。お前さん、本当に何も知らないんだな。ここら辺
 をまとめてるのは武藤って野郎だけど、そいつから逃れられ
 るって思ってるのかよ。まあ、俺が悪かったのは認める。た
 だ、お前さんたちだけじゃ絶対に脱出なんてできないぜ」
 ジルベールは何も言わなかった。
 話を打ち切るかのようにふっと海若から視線を外すと、その
まま途中だった作業に戻ってしまったからである。
 二人のやりとりの意味がわかったのか、エリアノールは怒り
が収まった様子で従者の青年に何か話しかけていたが、海若に
その言葉は理解できなかった。
 まったく、なんてこった。言葉が通じても意味ないな。まあ
いい、このまま脱出するまで待たせてもらおう。そして逃げ出
したら縄をほどいてもらって協力すればいい。
 ジルベールは好きになれなかったが、元来義に厚い海若は二
人の異邦人を見捨てる気は無かった。
 反対側の壁に戻ると、そこに寄りかかって<脱出>の手並み
を拝見することにしたのだった。
                            
 ジルベールの言う<秘術>の準備が整ったのは、それからし
ばらくしてからのことだった。
 二つの手鏡が、正確に向かい合ってお互いの姿を映し出すよ
うに固定されたからである。
 手間取ったのは、手鏡を固定する部分だったが、これはジル
ベールの努力の賜物だった。
「これで、どうする気なの?」
 ジルベールが手を止めたのに気づいて、エリアノールはさす
がに疑問を隠せない様子できいた。
「これは<合わせ鏡の秘術>と言って、私の一族に古くから伝
 わる秘術です。万一の時にはこの術を使って、危機を切り抜
 けよと教わりました」
「鏡を合わせる秘術?」
「私もよくわかりませんが、何かを呼び出すことができるはず
 です。おそらく、古来からの<智慧>のようなものです」
「古来からの<智慧>?悪魔でないならかまわないわ。やって
 くれないかしら?いつ夜が明けるかわからないし」  
「御意」
 短く答えたジルベールが姿勢を正して、低い声で何かに祈り
始めたのはその時だった。
 その言葉を聞き取ろうとしたエリアノールだったが、旅の途
中でも聞いたことがない言語であることに気づいて、すぐにあ
きらめる。
 このような秘術を知っているなんて、ジルベールは何者かし
ら?南仏の出身で、東方から来たとすれば、先祖は十字軍の時
にでも渡ってきたのかしら?
 考えられる話だったが、手がかりがあまりにも少なかった。
 旅をしている時でも、自分のことになると貝のように押し黙
ってしまうので、結局聞き出せなかったのを思い出す。
 ま、仕方ないわね。人は誰でも言いたくないことの一つでも
あるのだから。大体、南出身の人間が北まで来たぐらいなんだ
から、何かあったのかもしれないわね。
 そう考えて、ジルベールから視線を外した時だった。
 反対側の壁に寄りかかった漢人の青年と目が合った。
「そんな顔をしないでほしいな。こんな狭い牢屋だと嫌でも顔
 が合うんだ。それより、さっきは悪かった。あんたが貴族だ
 ったなんて知らなかったからな」
 エリアノールは何も言わなかった。
 先程までの怒りは収まっていたが、自分から口を開くのはた
めらわれたせいだった。
「ところで、貴族のあんたがどうしてこんな辺鄙な国に来たん
 だ?ここは何もないぜ。見ての通り、大元国より遅れたちゃ
 ちなところだぜ」
「ここに、<楽園>があるって聞いたのよ。あたしが見た夢が
 そう告げたの。何か知らないかしら?」
 漢語で<楽園>という言葉が出た瞬間、人のいい笑顔を浮か
べていた海若の顔色が変わった。
 横を向いて、ぶっきらぼうに答える。
「知らねえな。そんなの。嘘っぱちだぜ、きっと。俺も故郷や
 ここで随分あちこち見てきたけど、そんな話聞いたことも無
 いな」
「そう。やっぱり、あたしたちは間違ってたのかもしれないわ
 ね。ここを脱出したらまずは、大都に戻る方法を考えた方が
 いいかもしれないわね」  
 よほどがっかりしたのだろう。
 貴族令嬢は肩を落として大きく溜息をついてしまった。  
 今までの強気な性格からは考えられないような<弱さ>を持
つことに気づいて、海若が驚いた時だった。
 狭い牢屋内の空気が変わったことに気がついた。
 その方向に目を向けてみると、二人の会話にも耳を貸さずに
儀式を続けていたジルベールの祈りが佳境を迎えているところ
だった。
「これは……何か起こるな」
「そうらしいわね。古代からの<智慧>。いったい何が?」
 心に浮かんだ疑問を口にしようとて、エリアノールは向かい
合わせになった手鏡に何かが映っているのに気づいた。
 最初は目を凝らさないと分からない程だったが、しだいに大
きくなってゆく。
 それに気づいた海若も、手を縛られたままだったが、すぐ隣
まで身を寄せて迫り来る何かを見定めようとする。
 単調だったジルベールの祈りが次第に熱を帯びたものに変わ
り、それに合わせるように鏡の中の<何か>がはっきりと見え
るようになった時だった。
 突然、派手な音と共に二つの手鏡が粉々に砕けて、そこから
人影が飛び出してきた。