第1話 エリアノールとジルベール
                            
 西暦一二七五年、初夏。                
 九州・太宰府の近くにある一浦村。
 その地頭を務める武藤正徳の屋敷に、二匹の<鬼>が連行さ
れてきたのは、季節外れの大嵐が過ぎ去った夕方の事だった。
 一匹は背が高く銀色の髪を持つ若い男の鬼、もう一匹が金色
の髪を揺らした若い女の鬼である。
 船の被害を確かめに海岸に出た住民が漂着しているのを見つ
けて、駆けつけた兵士たちが捕らえたのである。
 抵抗一つ無かったので、指揮を執る武藤も呆れる程あっけな
い捕り物だったが、<戦果>には違いなので、気分は悪くなか
った。
「こいつらは一晩牢に入れておけ。明日になったら太宰府に連
 行する。知らせは入れてあるな?」
「はっ。しかし、牢にはすでに例の海賊がいます。一緒にして
 よろしいのですか?」
「かまわん。どうせ海若(かいじゃく)の奴も処刑するつもり
 だったからな。手間が省ける」
 そう言って武藤は豪快に笑ったものの、その部下はあまりの
えげつなさに内心うんざりせざるをえなかった。
 しかし、命令には逆らえず、二匹の鬼を先客のいる牢に放り
込むと、そのまま振り向くことなく立ち去ったのだった。
         
 床がじめじめして、居心地の悪い場所だった。      
 壁に寄りかかって仮眠していたエリアノール=ヴォーエルグ
だったが、蒼色の瞳を開くのと同時に。
 自分のいる所が、眠りに落ちる前と変わっていないことに気
づいて、小さく溜息を漏らした。
 やっぱり、あたしたちは捕まったのね。難破して打ち上げら
れて、右も左も分からない状態でいる内に囲まれて。本当に、
ここは<楽園>なのかしら?    
 両手が後ろで縛られたままなのを確かめて、ノルマンの血を
引くフランスの貴族令嬢は思った。
 あの<御告げ>によれば、ここが<楽園>のはず。長い旅路
の果てにたどり着いたあたしたちを迎えてくれるはずの楽園。
しかし、現実は……。
 ゆっくりと、目線を動かす。
 すぐ横では、船が嵐で難破した後もただ一人生き残った従者
のジルベール=アルブノワが仮眠をとっており、その反対側で
は、前からこの牢屋の住人だった黒髪の青年が、完全に眠りこ
けていた。
 外からは満月の光が差し込むので暗くはなかったが、うらぶ
れた気持ちは消えなかった。
 どうして、こうなったのかしら?あたしたちは東の果てにあ
る倭国こそが<楽園>と聞いて来たというのに。どこで、間違
えたのかしら?
 再び溜息をつくのと同時に。
 エリアノールはこれまでのことを思い返していた。
                
 ヴォーエルグ家は、フランス北部・ノルマンディーにほど近
い地域に所領を持つ貴族だった。
 当時の北フランスは、かつてのノルマンディー公であるイン
グランド王家に親近感を抱く貴族が多かったが、ヴォーエルグ
家は先代国王・聖王ルイ九世の時代からフランス王家に忠誠を
誓っていた。
 ルイ九世同様にキリスト教に深く傾倒していた為だった。
 そんな中流貴族の長女として生れたエリアノールが、<夢>
を初めて見たのは今から三年近く前のことだった。
 高名な画家の手による宗教画でも見たことが無いような楽園
が目の前に広がっていて、荘厳な声がこう告げたのである。
<ここはかつて、始祖アダムとイブがいた場所。彼らは許しが
 たい罪によってここを追われたが、<私>は近くここを一部
 の人間たちにもう一度開こうと思う。エリアノール、そなた
 も来るがよい。そなたは選ばれたのだ>
<あたしが?そんな大それたことは……>
<そなたの祈りは<私>にも届いている。恐れることはない。
 東方にあるこの場所を目指すとよい>
 最初はそれだけだったので、信心深いことで有名な貴族令嬢
もさすがに信じられなかったが、繰り返し似たような夢を見る
内に。
 自分は本当に<楽園>を目指せるのではないかと思うように
なっていた。
 そんなエリアノールの告白と決意は、遠くパリの<主君>フ
ィリップ三世の耳にも届いた。
 <中世騎士の模範>と称される父・ルイ九世に比べものにな
らない暗愚な君主と陰口をたたかれるフランス王は、その話を
聞くと一つの命令を出した。
 エリアノールの受けた夢のお告げが<真実>かどうか、ソル
ボンヌ(パリ)大学神学部に審査を命じたのである。
 それを知ったエリアノールは喜び勇んで、王都の神学者を相
手に自分の見た夢のお告げを堂々と説明した。
 最初は多くが半信半疑だった碩学たちも、まだ少女でも通る
エリアノールの率直な言葉に心を打たれて、慎重な議論の末に
<真実である>との審査結果をフィリップ三世に提出した。 
 その後の展開は早かった。
 フランス王はすぐにエリアノールの旅を許したからである。
 フイリップ三世が心服しているローマの教皇庁は内心はとに
かく追認したので、結局聖俗双方のお墨付きを得た旅となった
のだった。
   
 エリアノールがフランスを出たのは、一年半前の事だった。
 長い髪を切り落とし、長旅にふさわしい衣裳に袖を通し、信
頼できる従者を連れて、海路で中国・元帝国に向かったからで
ある。                         
 当時イタリア諸都市の商人が都の大都(北京)に住み着いて
おり、情報集めに最適だったからだが、そう助言したのが、従
者の一人であるジルベールだった。
 先代国王・ルイ九世が異国の地で死去して数カ月後にヴォー
エルグ家に雇われた南仏人だったが、その切れ者ぶりはエリア
ノールの旅を支えるのに十分過ぎる程だった。       
 道中の危機回避、情報収集に辣腕をふるったからである。
 いつしかエリアノールは、ジルベールを<第一の従者>と位
置づけるようになったが、それでも青年は初めてヴォーエルグ
家に来た時と同様に、黙々と自分の職務をこなすだけだった。
 一行が元帝国の首都・大都に到着したのは一年ほどしてから
のことだった。
 さっそくイタリア商人やムスリム商人、そして首都に住む色
々な住人に<楽園>に関する話を聞いて回ったが、その結果は
予想外なものだった。                  
 東方にジパングとも倭国とも言う国があるものの、<楽園>
がそこにあるかは誰も知らなかったからである。
 マルコという息子のいるベネチア商人に至っては、黄金の話
ばかりしてエリアノールを落胆させたが、それが新たな行動に
つながるまで、時間はかからなかった。    
 実際に倭国に乗り込んで、この目で確かめようと思い立った
のである。
 それにはジルベールも賛成し、船を調達した一行は東方の島
国に向かって出発したが、その先に落とし穴が待っていた。 
 もう少しで倭国に到着というところで、季節外れの嵐に巻き
込まれて船が難破したのである。
 さすがのエリアノールも死を覚悟したが、奇跡的に助かって
どこかの海岸に打ち上げられた。
 一度は助かったことを神に感謝した貴族令嬢だったが、その
後の成り行きは予想外だった。
 動き出そうとしたところ、大都で見た漢人とも違う黒髪で小
柄な人間たちが多数、武器を手に取り囲んだからである。
 まともな武器を持たないエリアノールたちは降伏するしか他
に無く、こうしてこの牢屋に放り込まれてしまったのだった。
                            
 今までのことを思い返して、再びエリアノールは大きな溜息
をついた。
 ここが目指す<楽園>……倭国である事は間違いなかった。
 しかし、そこにたどり着いたアダムの子孫に対する住民たち
の仕打ちは、予想とは全く異なるものだった。
 本当に、どうなっているのかしら?あたしが見た夢のお告げ
は東の果てに<楽園>があると言ってたわ。お告げに嘘がある
とは到底思えないし、どこで間違えたのかしら?
 時間だけは余っていることもあって、とりとめなく考え続け
ていた時のことだった。
 かすかに身じろぎして、ジルベールが目を開けた。
 黒に近い濃い色の髪を持つ、背の高い青年である。
 南フランスの出身なのは言葉で分かるが、外見からどこかか
ら流れてきた民族の末裔である事は明らかだった。
「エリアノール様、起きていらしたのですか?」
 南フランス訛りの強い北フランス語で、寡黙な従者は静かに
問いかてきた。
「ええ。一度目を閉じたけど、あまり眠れなくて起きてたわ。
 もう一度確かめるけど、ここは大都で聞いた<倭国>に間違
 いないのね?」  
「はい。嵐に遭う直前、わずかですが陸地が見えました。私た
 ちはおそらくそこへ流れ着いたのだと思います」 
「ジャンたちは、どうしたのかしら?無事だといいんだけど」
 ジルベールは無言のまま、首を振っただけだった。
 その動作の意味するところを知って、エリアノールは内心深
く落胆し、傷つく。
 港で雇った船乗りたちを除けば、皆故郷から長い旅を共にし
てきた<同志>たちだった。
 彼らを一度に失ったことによる喪失感は、まるで突然両足を
失ったかのように令嬢を苦しめた。
「エリアノール様?」
「……ごめんなさい。ジルベール。もう大丈夫だから。たとえ
 命を落としたとしても、ジャンたちならばきっと天に召され
 るはず。いつもあんなに熱心に祈りを捧げていたのだから」
 ジルベールは形式的にうなづいただけだった。
 有能で寡黙なこの従者は、キリスト教の話が出ると必ず冷淡
な反応をする。
 信仰心の厚いエリアノールにはそれが気に入らなかった。 
 旅の途中で何度か問い詰めてみたのであるが、無言の行を決
め込むだけで答えてはくれなかった。
「それより、あたしたちはどうなるのかしら?あの時捕まえた
 人間はあたしたちを人でもないような目で見ていたわね。余
 程珍しいのかしら?」  
「大都で聞いた話では、倭国を訪れるのは漢人の一部のみだそ
 うです。エリアノール様のような方は誰一人として行ってな
 いと思われます」
「だったら無理ないわね」
 額に落ちた髪を、首を動かして払いながら、エリアノールは
ぽつりとつぶやいた。
 先祖がノルマン民族であることを証明する金色の髪も、蒼色
の瞳も、白い肌もここでは<異端>に過ぎなかった。
「これから、どうしたらいいのかしら?あたしたちは罪人とし
 て扱われているんだから、早く手を打たないと」
「それでしたら、私に考えがあります」
 待ち構えていたように、ジルベールが口を開いたのはその時
だった。
 後ろ側で縛られていた両手を動かすと、するりと縄を抜けて
みせる。
「……!?いったい、どうやったの!?
「こつを知ってるだけです。それより、私がやってみたいと思
 うのは先祖伝来の秘術です」
「秘術?それは一体どういうものなの?」
 縄をほどくのを頼むのも忘れて、令嬢はきいた。
 興味を抱いたというよりは、訝しげな問いかけだった。
「全てはご覧になっていただければ分かります。きっとこの危
 機を乗り越えられるはずです」
「……まさか、悪魔と取引するわけではないわよね。もしそう
 だとしたら、あたしはあなたを異端として告発するわ」
「そんな恐ろしいことはいたしません。私の一族ではごく当た
 り前のように行われてきた術です」
「だったらあなたを信じるわ。ただし、少しでもおかしな素振
 りを見せたら中断させるからそのつもりでいなさいね」
 ジルベールは小さくうなづいただけだった。
 その言葉は十分予想していたのだろう。
 すぐに居ずまいを正すと、海に落ちた時も手放さなかった手
鏡を二つ、懐から取り出して術の準備を始めたからである。
 一瞬、牢屋を見張っている人間に気づかれるのではないかと
いう危惧がよぎったエリアノールだったが、すでに夜中近くに
なっている為か、格子の外に人の気配はしない。   
 先に入れられていたもう一人の罪人も起きる気配がないので
邪魔する心配はないようだった。      
 とにかく、ここはジルベールを信じるしかないわね。
 内心そう思いながら、準備が終わるのを待ち続けているのだ
った。